Chronology
1962年 | 東京都港区に生まれる |
1965年 | 父の独立に伴い東京都足立区へ転居する |
1981年 | 中央大学経済学部入学、生涯の恩師国際経済学部田中拓男教授と出会う |
1985年 | 中央大学経済学部卒業、卒論は「日本的経営論」 日産トレーデイング株式会社に入社し鉄鋼営業部に配属。日産自動車の鋼材調達に貢献する |
2001年 | 日産自動車社内コンサルタントに就任 |
2010年 | インド事業立ち上げの過労から半年間休職。これを機に営業部門から管理部門に異動 |
2011年 | コーチ・エィ認定コーチ資格を取得し、社外にもコーチングビジネスを展開 |
2018年 | コーチング・ラボSomethingを開業 日産トレーデイング株式会社Vice President(役員)に就任する |
2020年 | 株式会社iniasuテクニカルアドバイザーに就任し、スポーツ領域に活動を広げる |
2022年 | 国家資格キャリアコンサルタントを取得 |


社会人生活のスタート
東京の下町で町工場を経営する両親に育てられた影響からか、学生時代から経営という言葉に興味があった。「Japan as No.1」という著書がブームになり、アメリカの企業が日本企業を成功モデルとして研究する中、「日本的経営論」をテーマに卒論を書き、「やりがい」が持てそうな企業だけを受け続けた。第一志望の日産自動車は不合格、そこで出会った創業したばかりの総合商社日産トレーデイングに入社した。

コーチングとの出会い
1999年に日産自動車の社長に就任したカルロス・ゴーンは、構造改革日産リバイバルプランの中で日産のコンサルタント事業の立ち上げを行った。「入社した時からコンサルタントの素養があった」という上司の評価を受けて、日産トレーデイングからただ一人プロジェクトに参画し、日産グループのコンサルタント育成に取り組む。その過程で日本にコーチングを導入した株式会社コーチ・エィの指導を受け、コーチングに出会う。課長になったばかりで部下指導に悩む中で、部下のポテンシャルを引き出すコーチングの考え方とスキルに感銘を受けた。

海外プロジェクトの挫折と方向転換
日産トレーデイングで商社マンとして世界を飛び回りながら、日産グループの上級コンサルタントとして課題解決や若手コンサルタントの育成に取り組む中で、2010年には日産自動車のインド工場立ち上げに対する社内責任者に指名される。一年の半分をインドでホテル住まいしながら陣頭指揮を執るが、想定外の事態の連続に過労で倒れて、半年間の休職を余儀なくされる。これを機に海外を飛び回る生活から、人材開発を中心とする管理業務にシフト。その後、営業と管理の実績が評価されて役員に昇格。

社内外におけるコーチングの取り組み
2011年にコーチ・エィから資格認定を受けたのを機に、国家資格キャリアコンサルタントの資格をはじめとする8つの資格を取得。コーチとしての活動は社内に留まらず、社外のクライアントに対しても課題解決をサポートしている。コーチング理論と豊富なメソッドを駆使して、クライアントに合わせた対応に定評があり、企業経営者やマネジメント層、スポーツ選手や指導者など様々なクライアントの課題解決をサポートしている。また、企業のマネージャーやスポーツの指導者に対して、コーチングスキルの指導も行っている。
Licenses
コーチ・エィ認定マスターコーチ |
ビジネスコーチ社認定エグゼクティブコーチ |
日本スポーツコーチング協会認定コーチ(スポーツ指導者へのコーチングスキル指導) |
フィールド・フロー認定メンタルコーチ(スポーツ選手のメンタルサポート) |
日本アンガーマネジメント協会認定ファシリテーター(怒りのコントロール) |
原田メソッド認定パートナー(大谷翔平選手マンダラチャート) |
スーパーブレイントレーニング2級(大脳生理学) |
国家資格キャリアコンサルタント(キャリア理論) |
Achievements
清水エスパルス指導者へのコーチングスキル研修 |
日本サッカー指導者協会(JFCA)における定期セミナー |
女子実業団野球チーム瀬戸内ブルーシャインズへのサポート |
事業名 | コーチング・ラボ Something |
代表者 | 境 修 |
事業形態 | 個人事務所 |
活動期間 | 2011年10月 |
事業内容 | 個人コーチングセッション、コーチング研修 |
本拠地 | 埼玉県さいたま市 |
保有資格、免許等 | 国家資格キャリアコンサルタント、コーチ・エィ認定マスターコーチ、原田メソッド認定パートナー 、他 |